井戸の茶碗
江戸の町に住む屑屋(くずや)の清兵衛(せいべえ)は、町中で「正直清兵衛」と呼ばれるほどの正直者でした。
彼は毎日、「屑ぃ、お払い!」と声を張り上げながら、古物を買い取る仕事をしていました。
ある日、麻布茗荷谷の町を清兵衛が裏長屋を歩いていると、身なりは粗末ながらも、どこか上品な雰囲気を持つ美しい娘に呼び止められました。
「ねえ、屑屋さん。
ちょっとお願いがあるのですが……。」
清兵衛はその娘の美しさに心を奪われつつ、少し照れながらも「はい、何でしょうか?」と答えました。
「実は、父が持っている仏像を引き取ってもらいたいのです。
お金がなくて、どうしても手放さなければならないのです。」
その娘は、千代田卜斎(ぼくさい)の娘でした。
彼女の父、卜斎はかつては武士として名を馳せていましたが、今は貧しい生活を強いられていました。
清兵衛はその話を聞き、心が痛みました。
「わかりました。お父さんの仏像、引き取りますよ。
ただ、目利きには自信がないので、安く買っても申し訳ないと思いますが……」
そう言いながら、娘に案内されて部屋に入ると、卜斎が古い仏像を差し出してきました。
清兵衛は仏像をじっと見つめたが、目利きに自信がないため、値段をつけるのをためらいました。
「こんなもの、私には価値がわかりません。
安く買ってしまっては申し訳ない。」
その正直さに感心した卜斎は、清兵衛にこう提案しました。
「では、200文で買い取ってくれ。
それ以上の値で売れたら、儲けを折半しよう。」
清兵衛はその言葉に納得し、仏像を籠に入れて持ち帰ることにしました。
清兵衛が仏像を持って町を歩いていると、細川家の屋敷の前で若い武士・高木佐久左衛門(たかぎさくざえもん)に呼び止められました。
高木は仏像に興味を示し、清兵衛からその経緯を聞いた上で、300文で仏像を買い取りました。
ところが、高木が仏像を磨いていると台座の底から紙が破れ、中から50両もの小判が出てきました。
中間(ちゅうげん)の良造は大喜びしたが、高木は真面目な性格でこう言いました。
「私は仏像を買ったのであって、この50両を買ったわけではない。
これは元の持ち主に返すべきだ。」
翌日から、高木と良造は仏像を売った屑屋を探すため、長屋下を通る屑屋たちに声をかけて顔を改めるようになりました。
その噂を聞いた清兵衛は、仏像の首が折れて縁起が悪いから、売った屑屋の首を打とうとしているのではないかと仲間に言われ、細川屋敷を避けるようになりました。
しかし、ある日うっかり掛け声を出してしまい、高木に見つかってしまいました。
怯えながらも屋敷に招かれた清兵衛は、50両のことを聞かされ、卜斎に返すよう頼まれました。
清兵衛はその誠実さに感動し、50両を持って卜斎の家を訪れました。
しかし、卜斎はこう言いました。
「気づかなかったのは私の不徳のいたすところ。
この金は既に私のものではない。」
清兵衛は困り果て、再び高木の元へ戻ったが、高木も受け取ることを拒否しました。
清兵衛は何度も行ったり来たりし、ついには長屋の大家が仲裁に入ることになりました。
「では、千代田殿と高木殿にそれぞれ20両、苦労した清兵衛に10両を分けるのはどうか。」
高木は承諾したが、卜斎はこれも拒否した。そこで大家はこう提案しました。
「では、20両の代わりに何か形見の品を高木殿に渡し、商いという形にしてはどうか。」
卜斎は父の形見である古い茶碗を差し出し、ようやく話がまとまりました。
この話が細川家の殿様の耳に入り、殿様は茶碗を見たいと言い、髙木を呼びつけました。
すると、ちょうどその時、居合わせていた目利きの者が茶碗を見て驚きの声を上げました。
「これは『井戸の茶碗』という世に二つとない名器です!」
細川侯は300両で茶碗を買い上げたが、高木はその金を卜斎に返すべきだと考え、再び清兵衛を呼びつけました。
しかし、卜斎はまたもや受け取りません。
そこで清兵衛はこう提案しました。
「千代田殿の娘を高木殿に嫁がせ、その支度金とするのはどうでしょう。」
高木はこの提案を快く受け入れ、卜斎もようやく納得しました。
清兵衛は最後にこう言いました。
「娘さんは、いまは裏長屋でくすんでいますが、磨けばきっと美しくなりますよ。」
すると高木は笑いながら答えました。
「いや、磨くのはやめておこう。
また小判が出るといけないからな。」
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